代表あいさつ

一言、御礼と、ご挨拶を申し上げます。
お蔭様にて、弊社は34周年を迎えることができました。正確には、2022年5月23日からは、35年目に入ります。
誠に有難いことであります。

ここまで来れましたのも、お一人お一人のお客様のお陰で御座いました。
特に、創業時に助けて頂きました地元の辰尾町内の方々、第二分団の町内の方々、熊野小学校校下の方々には大変お世話になりました。地元の皆様のお情けとご協力が無かったら絶対にここまで来れませんでした。
本当にありがとう御座いました。
また、JA富山市を始め、農業関係者の皆様方にも本当にお世話になりました。
更に官庁を始め、一般企業の会社様やライオンズクラブの皆様方にも本当に助けていただいて今日があります。
この34年間、数を数え切れないくらいの方々に、助けて頂き、今日を迎えさせていただいております。
毎日毎日、必ず、どなたかのご協力やご理解を賜りながら、何とか仕事を続けさせていただいております。
感謝の日々で、誠に有難く厚く御礼を申し上げます。 感謝しか御座いません。
また、ベンチャーズのエレキギターブームで、さすがに高価過ぎて買えないため、木製で木ねじにエナメル線を巻いて磁界を作り、何と自力でエレキギターを作成したところから私の弱電電気関係が始まりました。
昭和41年の中学1年生の頃から何故か弱電関係に興味を持ち、当時はまだ高価だった太陽電池をアルバイトで購入し、AMラジオの電源部にしたり、このころからアマチュア無線にも興味を持ち始めました。

昭和46年3月に電気課を卒業後、プリント基板作成、検査、配達の職につき3年を経て、昭和50年1月13日から電話設備業界に就職しました。9ヶ月間現場でNTTビジネスホンの工事に携わり、10月より営業職となりまして今日まで47年間、ほとんどを営業職にて過ごさせて頂きました。

昭和63年5月23日より、独立させて頂きまして、はや34年になりました。
お陰様にて、社員にも恵まれ、お客様には助けて頂き、また、NTTドコモ様を始めNTT西日本様との
取引をさせて頂いたからこそ今日が御座います。
また忘れてはいけないのは、銀行さんやリース会社様のご理解とご協力が頂けたので毎日の運営ができました。

また、父親の連帯保証や、ご先祖様からの田んぼ、自宅の土地と家屋など、担保にさせて頂けて、初めて商売が始められました。  やはり、自分単体では、何もできなかったのです。  ご先祖様にも感謝です。

情報通信一筋に47年になりました。天職と感謝いたしております。
周りの全ての方々に今日も助けて頂きながら、生かされております事に、心より感謝を致しております。
毎日朝晩、自宅と会社の神様、ご仏壇、に感謝をしながら手を合わせております。

70歳になりました。歳のせいか、気も弱くなり、本当に、ちょっとした身近な事にも感激して涙が出たり、
特に人様のお助けには、涙が出て、深く感謝と有難さが身にしみるようになってきました。
この人間界は、人と人の情け・助け合い・感謝し合うこと・などで成り立っているように思われます。
最近の世の中には感謝の気持ちが足りないように感じます。やはり、感謝を感じなければ、と感じます。

今は、毎日、社員の無事を願い、夜には安全にそれぞれの自宅に帰れるようにと、祈っております。
すべてのお客様、メーカーさん、銀行さん、社員や社員の家族全員、わたくしの家族全員、に感謝です。

ご挨拶と言いながら、結局は、わたくしからの感謝の気持ちをお知らせしただけになりましたが本当にいつもありがとうございます。
出来ましたら、今後とも 何卒 宜しく お付き合いを賜りますよう お願い申し上げます。
ありがとうございました。

2022年6月吉日






株式会社たつ通信工業
 代表取締役 辰本隆俊

昭和27年のたつ年生まれ
富山市辰尾の名前の由来は、昔、近所に池があり天まで昇る龍のしっぽを何人も見たことから、辰の尾っぽ、辰尾と地名がつきました。
この辰尾に生まれました。
辰尾に一番早く来て百姓をしていたので、辰の元=辰本と苗字が決定しました。
創業が何と、昭和63年の辰年でした。
創業月も5月23日で、5月は辰の月でした。
今でこそ、「ひらがな」の会社名が増えましたが、1988年の昭和63年には珍しい社名でした。
子供にも覚えてもらえるようにと、妻がたつ通信工業と命名しました
不思議と「たつ」「辰」には、ありがたいご縁が御座います。